じゃマール エンデバーの会員募集秘話

1996年~今から30年前といえば、まだインターネット黎明期でネットの人口普及率は3%に過ぎませんでした。
世界的に有名な検索エンジンであるYahoo!が、日本語に対応したYahoo! Japanとしてディレクトリ型のキーワード検索
サービスを開始して日本初のポータルサイトとなった時期でもあります。
もちろん今のようなSNSなどのような便利なコミュニケーションツールは影形もなく、紙媒体が主流のアナログ全盛時代。
エンデバーの起ち上げで一番の問題は、どうやってメンバーを集めるの??? 都内近郊在住の20代~30代でバドミントン
経験者や興味がある人たちに、いかに呼びかけを行おうかと思案投げ首状態が続いていたのですが…
そんな時に救世主のように現れたのが「じゃマール」という雑誌でした。

『じゃマール』は、1995年11月から2000年6月までリクルートフロムエー(現・株式会社リクルート)で発行されていた
個人による告知を集めた月刊雑誌で、個人間商取引情報と、不特定人物との出会い(友達、サークル仲間、交際相手など)
情報で構成されていた情報誌です。
当初は首都圏を中心に刊行され、あっという間に20万部を発行する大ヒット。
1997年には「北海道版」「東海版」「関西版」「九州版」が創刊されました。

サークルの同好の士を募るのには絶好の媒体であったが、個人情報をある程度晒さねばならない(個人の連絡先情報)などの
リスクも少なからずありましたが、サークルの起上げを軌道に乗せるために…と腹を括ってチャレンジした覚えがあります。
しかして、その反響は凄まじいものがありました。(↓写真下に続く…)

掲載されるまで時間は掛かりましたが(2週間~1ヶ月前後)一度の掲載で多い時には20~30件の問い合わせがありました。
そのうちの70~80%の方が実際に練習に参加、大勢の方が会員もしくはビジターとして通ってくれるようになりました。
問い合わせのやりとりは手紙が中心で、皆さん会社帰りにバドミントンで汗を流して尚且つ新たな出会いで良好な人間関係を
築いていきたいという情熱がほとばしるメッセージをたくさん頂き、素敵な同好の士と巡り会うことが出来ました!
『じゃマール』なくしてエンデバーなし、というくらいお世話になりました。

初参加された方々が次回以降続くかどうか?は、その日の飲み会に参加するか否かに比例していたような気がします(笑)
30年前の若い世代は、まだまだアフターでスポーツに勤しみつつ健全な新たな出会いを拡げて行こうという気概があって
毎回の練習会場には笑顔と歓声とフレンドリーな空気が充満していたように懐かしく思い出されます。
インターネットによるオークションの台頭と、個人間情報交換誌を利用した犯罪行為が社会問題になっていき2000年に
その幕を下ろしたじゃマール。今のSNSと比し決してスマートとは言えないアナログ媒体を通じた出会いの温かみや
情熱は、逆説的に貴重なものに思えて仕方がない今日この頃です。

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