エンデバー 合宿

1996年にバドミントンクラブエンデバーを無事起ち上げ、じゃマールでワンサカ人が集まってきて運営が
軌道に乗り始めた頃、ミスターKこと発起人の一人であるイングリッシュティーチャーから「合宿をやろう」
提案がありました。ミスターKは高校の英語教師&バドミントン部の顧問で尚且つ他の歴史あるバドミントンの
社会人クラブで度々合宿を経験してきた謂わば「合宿のプロ」だったのです。

社会人のサークルで合宿をするという発想が全くなかった私からすれば、目から鱗…の提案でした
学生時代の合宿→練習漬けで先輩・コーチ・監督(部長)からシゴカレッパナシノ地獄の日々…
というイメージしか持ち合わせていなかったし、土日祝や連休にかけて行くにしても、30年前はそこまで
週休2日制が浸透していなかった時代です。仕事のヤリクリを付けて、一体どれほどのメンバーが参加するのか?
そっちの心配の方が先に立ちました。が…それは杞憂に過ぎずいざフタを開けてみると想定外の参加申込みがあり
当時のメンバーの情熱には感心させられたものです。
仕事終わりに練習に駆けつけ、21時前まで練習して飲み会、普段はそういうルーティンの繰り返しですが
合宿ですと、行きの車中~泊まりがけの一日通しての時間共有=時間を気にすることのない酒盛りという
流れの中で、普段は垣間見れなかった人間性や、開放感から深まる絆など、実は「やらない選択肢はなし!」
だったんですよね。

行き帰りはクルマを出し合って分乗して移動、もしくは電車で移動の2択。左党からすると帰りの車中で酒盛りやトランプで
盛り上がる電車が良かったのですが、駅から遠い宿などの場合はやはりクルマが便利だったり甲乙付け難し。
クルマの乗車割り、列車の座席割り、宿での部屋割り…なるべく新たな人間関係が構築できるような組み合わせになるよう
シャッフルしたり、結構…神経を遣っていたような気がします…

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